2006-07-07

DNA

定時少し前、所用のため、毎日一緒に帰っているmuさんに「今日はひとりで早めに帰宅しちゃってもいい?」と聞いた。聞いた後、何かの衝動にかられ「でも、(私と)一緒に帰らないとさみしーぃ?」と聞いてみた。
muさんは、一瞬答えに詰まった様子。そこで気が付いた。
この聞き方は・・・もしや・・・

これは我が家でよく聞くフレーズ。
父は突然何を思ったか、会社に行く前、母に「おまえー、俺がいない(会社に行っちゃう)とさみしいらー」と聞いたりする。
娘の私は、何度その父の言葉を聞いても、『!』なのだが、
母はもう慣れたもので、「さみしぃーなぁー(とりあえず言っておく風)」と言う(これもおきまり)。

びっくりしてしまうことに、帰宅後、今度は姉が「おかあさん、さみしかったでしょーう。」と母のまわりをべたべたしてくる(姉、結婚前の事)。

父と姉は、お互いの行動を見ているわけでもなく、別々の場所で、同じ事をするのだ。血は水よりも濃い事を実感している母。

父と姉のそっくりな行動や発言を見つける度に、母と私は、「ねーねー、お父さんと○○姉はこんな事言ってたよー」と、遺伝子研究の成果を報告し合う。
ちなみに、母の研究結果は、「教育は意味がない(DNA>教育)」。


かくいう私も、少しだけ父の血がフツフツ言う時があって、ほんのたまーーに、母に、「家にひとりでいると、さみしいでしょう?」とか聞いたりする。なんか、聞きたくなっちゃうんだ。

そして母は、おそらく、『皆、早く会社に行けー』と思っているに違いない。
どちらかと言うと、ひとりでいる方が好きな母。

ちなみに、「さみしい」って言われないと、不服そうな父や姉だけど、相手に「さみしい」って言われたからって、何かをしてあげたりするワケではない。
父、姉、私の3人は、あくまでも相手がさみしいって言ってくれるのを聞くのが好きみたい。

さみしい?って聞いている本人達の方がよっぽどさみしいのではないか。。。。

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